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大阪高等裁判所 昭和42年(う)641号 判決

被告人 清田祐一郎 外二名

主文

原判決中、被告人清田祐一郎、同室井元雄、同高瀬泰司に関する部分を破棄する。

被告人清田祐一郎を懲役八月に、

被告人室井元雄を懲役六月に、

被告人高瀬泰司を懲役一〇月にそれぞれ処する。

但し、この判決確定の日から、被告人清田祐一郎、同室井元雄に対しては各二年間、被告人高瀬泰司に対しては三年間右各刑の執行を猶予する。

理由

本件各控訴の趣意は、京都地方検察庁検事桃沢全二作成の控訴趣意書および大阪高等検察庁検事上西一二作成の控訴趣意補充書ならびに弁護人熊谷尚之外七名連名作成の控訴趣意書に記載のとおりであり、検察官の控訴趣意に対する答弁は右弁護人ら連名作成の答弁書に記載のとおりであるから、これらを引用する。

弁護人の控訴趣意二の第一点について

論旨は、原判示第一の(一)の事実につき訴訟手続の法令違反を主張し、原判決は、被告人らおよび多数学生らとの共謀の事実について訴因変更の手続をしないで起訴事実と全く異つた事実認定をした違法があり、右の違法は被告人の防禦につき実質的に重大な不利益をもたらすもので、判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は破棄を免れない、というのである。

よつて案ずるに、被告人清田に対する昭和三七年一一月一七日付起訴状記載の公訴事実は、「……公安委員会において、……順路を円山公園音楽堂―祇園石段下―四条通―木屋町四条―木屋町通―木屋町御池―御池通―京都市役所前にて流れ解散に変更することを条件として右申請を許可したところ、これをもつて学生運動に対する弾圧であるとして、前記順路変更地点である木屋町四条において、警察官が行進隊の順路逸脱を阻止するときは、実力を用いてこれを突破して四条河原町交差点に向けて西進し、強いて前記申請順路により集団示威運動をすることを企て、(第一)同年一一月一日、右集団行進、集団示威運動に参加した学生約二千名と共謀のうえ、同日午後四時四〇分頃、相共に前記円山公園音楽堂附近を出発し、祇園石段下を経て四条通を西進し……」というのであり、被告人高瀬に対する昭和三七年一二月二六日付、被告人室井に対する昭和三八年一月二四日付各起訴状記載の起訴事実は、「……警官隊が行進隊の順路逸脱を制止するときは、実力を用いてこれを突破し、四条河原町交差点に向けて西進することを企て、同年一一月一日午後二時三〇分頃より前記円山公園音楽堂において、学生約二千名を集めて集会を開いたのち、同四時四〇分頃、同市東山区祇園石段下交差点より京都大学の学生らにより編成された先頭列員において竹竿を構えスクラムを組んだ第一隊四百数十名、第二隊約三百名、第三隊四百数十名の順に四条通りを西進し、同五時頃、四条木屋町交差点にさしかかり、同所において、前記学生らが許可条件を逸脱しようとするときは、これを制止すべく該交差点西側に位置して警備中の京都府警察本部警備部機動隊長大同幹雄ら約三四〇名の警察官の隊列に対し、前記第一隊、第二隊、第三隊が相次いで突入したのであるが、その際、被告人らは前記清田及び前記第一隊ないし第三隊の学生千数百名と共謀のうえ……」というのであるが、原判決は判示第一の冒頭記載の事実として「……一一月一日午後二時三〇分頃より円山公園音楽堂において府学連主催のもとに、……学生合計約二、〇〇〇名が参加して大学管理法案粉砕の集会が開かれたのであるが、その際、被告人清田は右学生らに対しマイクで大学管理法案に反対する所以などを述べたのち、前記申請にかかる集団行進の順路が変更して許可されたいきさつにつき報告し、安保反対デモ以来われわれが勝ちとつてきた河原町通を通る申請どおりのコースでデモを行なおうと訴え、多数学生の拍手賛同を得た……」と判示し、判示第一の(一)事実として「(一)被告人清田は、同日午後五時頃、前記デモ隊を先導する宣伝車荷台に乗車して四条木屋町交差点に至り、同所より僅か北上したところから、マイクで附近の通行人らに対し河原町通を通さないのは警察の弾圧であるなどと訴えていた際、被告人松元、同室井の両名が先頭列外にあつて誘導する京都大学第一集団が四条通南側車道を右交差点附近まで西進し、同交差点の西詰に張られた警官隊の阻止線の手前約二〇メートルの位置で、右集団の行進を暫時停止させ、先頭列員は竹竿を横に構え、約一〇列の縦隊にスクラムを組み、警官隊へ突入する態勢を整え、また京都大学第二集団の先頭列外にあつてこれを指導していた被告人高瀬は、同集団を右第一集団の北側に誘導しながら西進して来たが、ここに被告人清田、同松元、同室井、同高瀬は京都大学第一ないし第三集団の学生(約一、二五〇名)と互いに意思相通じ共謀のうえ、右交差点西詰を警備していた機動隊の隊列を突破しようと企て、……」と判示していることは記録に徴し明らかである。右各起訴にかかる訴因と原判決認定事実とを比較すると、被告人高瀬および被告人室井については、事案の経過、共謀の時期、場所および相手方については、訴因と原判決認定の事実とは大体一致していて、所論の如く異つたものとはいいがたく、ただ被告人清田については、起訴にかかる訴因によれば、円山公園音楽堂で参加学生約二、〇〇〇名と共謀があつたものの如くなつているのに、原判決では四条木屋町交差点附近において京都大学第一ないし第三集団の学生約一、二五〇名と共謀があつた旨認定している点は相異しているが、事件の経過における当初の段階で共謀が成立していたとの訴因を、事件の経過の途中から共謀が成立したものと認定するについては、共謀成立の時期を縮少して認定するにすぎないから、別に被告人の防禦に不利益を及ぼすものではなく、ことに本件においては被告人室井、同高瀬の弁護人のほとんどは被告人清田の弁護人でもあるから、右の点については被告人清田の防禦に何ら不利益はないものというべきであり、また、共謀の相手方の人数を縮少して認定しても被告人清田の防禦に何ら不利益を及ぼすものではないから、原審が前記の如く事実認定をするについては訴因の変更手続を要しないものといわなければならない。原判決には所論のような訴訟手続に法令違反はないから、論旨は理由がない。

弁護人の控訴趣意二の第二点ないし第四点について

論旨は、要するに、原判決は原判示第一の(一)において被告人三名が原審相被告人松元および京都大学第一ないし第三集団約一、二五〇名の学生との共謀による警察官に対する公務執行妨害、傷害の事実を認定したが、右のような共謀は全く存在しないし、被告人清田が機動隊への突入を煽動し、あるいは指令したことも、突入の実行行為をしたこともなく、その他の被告人が機動隊に突入するように学生集団を誘導したこともなく、学生らも意識的に機動隊に突入したものでもなく、またこれらの事実の存在を認めるべき証拠もないのに、原判決が前記事実を認定したのは、共謀を認定する場合の経験則に反し、共謀についての法令の解釈適用を誤り、事実を誤認し、公務執行妨害罪に関する法令の適用を誤つた各違法があつて、右の誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであり、さらに、原判決挙示の対応証拠をもつてしては原判示第一の(一)の事実を認定することはできないから、原判決には理由不備の違法があり、いずれにしても、原判決は破棄を免れない、というのである。

しかし、原判決挙示の対応各証拠によれば、原判示第一の(一)の事実を認めるに十分である。ことに共謀の点については、右証拠によれば、被告人清田はデモコースが変更されて許可になつたことを知り許可書の受領を拒否したこと、本件当日の朝、宣伝カーの運転者として雇われた中村義信は京大において学生側から四条河原町経由コースをガリ刷りした図面を渡されていたこと、当日、円山公園音楽堂における集会の総括として被告人清田がマイクに立ち、公安委員会が河原町コースを許可しなかつたのは不当であるとの経緯を述べたうえ「警職法、安保闘争以来既成事実として勝ちとつて来た河原町コースを進もう。」と呼びかけ、参加学生大多数の拍手賛同を得たこと、円山公園から発進の際、被告人清田は「今日のデモを成功させるために四条木屋町の機動隊を突破し、河原町に行こう。」と演説し、行進出発後は被告人清田は府学連の宣伝カーの荷台に位置してデモ隊の先導にあたり、四条木屋町で機動隊との衝突直前に宣伝カーの上から通行人らに対し「河原町通を通さないのは警察の弾圧である。工事はしていない。石ころ一つない。われわれは警察の阻止を突破して河原町に出よう。」などと訴えたこと、四条木屋町でデモ隊と機動隊と衝突した際、被告人清田は附近の宣伝カーの上から「どうしても河原町を通るのだ。あくまでも突破する。四条通は工事はしていない。われわれの力で突破しよう。」「円山で決議したように行進を起こそう。」などと演説したこと、円山公園音楽堂の集会およびその後のデモ行進に参加した学生の大多数が集会およびデモ行進の全体を通じ終始被告人清田の呼びかけや演説に呼応する行動を示していたこと、他方、被告人室井、同高瀬および原審相被告人松元らが当初から前記音楽堂の集会に参加していたか否かは明確ではないけれども、被告人室井、松元の両名は、四条木屋町交差点付近において、左に室井、右に松元と両名相並んで京大第一集団の先頭列外にあつてこれを指揮し、あるいは先頭列員が横に構える竹竿の両端を握り、あるいは笛を吹き、被告人高瀬は、京大第二集団の先頭列外に立つてこれを第一集団の北側に誘導して第一集団と一線上に並進状態になるように指揮し、さらにそのあとから京大第三集団も加わり、態勢を整え、宣伝カーの上からの被告人清田のあじ演説で気勢を挙げたうえ、それぞれ自己の誘導する集団の学生とともに、京大の三集団約一、二五〇名が一団となつて四条木屋町交差点西端線付近に阻止線を張つて警備していた機動隊の隊列に烈しく突き当り、押しまくるなどの暴行を加えて、阻止線中央附近を破り、被告人室井、同高瀬および松元らは学生約八〇〇名とともに突破口から西進し、四条河原町に達したことを認めることができるのであつて、これらの事実からすれば、被告人清田は、当日の集会の当初から、河原町通りのデモコースをとるため、もし四条木屋町において機動隊の規制、阻止があれば、これを実力で強行突破してでも四条河原町に至ろうとする公務執行妨害の犯意のあつたことが認められるが、原審は、学生らとの共謀関係については、前記音楽堂での集会に参加した学生の大多数が被告人清田の演説に拍手賛同したことによつては、賛成した学生を然らざる学生より特定することは困難であり、またこの段階における学生らの犯意の有無も不明確であるから、学生との共謀の成立を認めることは困難であると解し、少なくとも京大三集団の学生約一、二五〇名が四条木屋町における被告人清田の前記あじ演説で気勢を挙げ、機動隊の阻止線を突破しようとする実行に移らんとする段階において、これらの学生との共謀を認めたものであつて、原判決の右認定に事実の誤認があるとは認められない。そして、右認定事実によれば、被告人室井、松元ならびに被告人高瀬らは、少なくとも京大の三集団の学生約一、二五〇名が一団となつて機動隊の隊列に突き当るその実行行為に移る直前において、右学生約一、二五〇名との共謀の成立があつたものというべきであり、しかも被告人室井、同高瀬および松元らはいずれも、被告人清田との共謀があつたと認められる京大の三集団の学生約一、二五〇名の構成員でもあるから、被告人清田との、現場における共謀の存在を肯認しなければならない。そうすると、被告人らは、自己および共犯者らが犯した行為の結果については責任があるものといわなければならない。弁護人らは集団を構成する学生全員の一人一人が機動隊突破の意思を持つていたとするのは余りにも極端な推測であるというが、しかし、四条木屋町における右京大集団の行動を見れば、同集団の構成員は全員一団となつて機動隊の隊列に突き当つていつたことはさきに認定したところであるから、全員につき公務執行妨害の犯意があつたといわざるを得ないから、右所論は、採用しがたい。また所論は、中村義信の検察官に対する供述調書、原審証人糸井泰、同原沢力、同守山梁平の証言の信用性を争うが、右中村義信は原審が証人として直接取調べた上、検事調書をより信用すべきものとして採用したものであり、又右各調書の内容を検討すると、いずれも多数の現場写真その他の関係証拠ともよく合致し、右の各供述は十分信用することができるから、右の所論も採用しがたい。そして、その他記録を精査しても、原判決には所論のような経験則違反、共謀についての法令の解釈適用の誤、事実の誤認、公務執行妨害罪に関する法令適用の誤も、理由不備の違法もないから、論旨はいずれも理由がない。

弁護人の控訴趣意二の第五点中の事実誤認、法令の解釈適用の誤りを主張する控訴趣意について

論旨は、要するに、原判決は京都市条例は憲法二一条に違反し無効であると判断しながら、原判示第一の(一)において被告人らに公務執行妨害罪および傷害罪の成立を認めたが、警察官のデモ阻止行為は適法性を欠くので、被告人らについては公務執行妨害罪は成立しないから、原判決は公務執行妨害罪に関する法令の解釈適用を誤つた結果、事実を誤認した違法がある、というのである。

しかし、のちに検察官の控訴趣意についての判断の際に説示する如く、本市条例は憲法に違反するものではなく、したがって市条例に基づき公安委員会の付した条件に違反して行なわれた集団行進、集団示威運動を規制しようとする機動隊の行為は適法なものというべきであるから、これに対する原判示の妨害行為は公務執行妨害罪を構成することは明らかであり、所論のように被告人らの行為が正当防衛、緊急避難または自力救済とはとうてい考えられない。結局、原判決には所論のような法令解釈適用の誤、事実の誤認はないから、論旨は理由がない。

弁護人の控訴趣意三について

論旨は要するに、原判示第二(一)(1)(2)、(二)、(三)の各事実につき事実誤認、法令適用の誤りがあるというに帰するが、刑事訴訟法三八二条の規定によれば、事実誤認を理由として控訴の申立をした場合には、控訴趣意書に、訴訟記録及び原裁判所において取り調べた証拠に現われている事実であつて明らかに判決に影響を及ぼすべき誤認があることを信ずるに足りるものを援用しなければならず、また同法三八〇条の規定によれば、法令適用の誤を理由として控訴の申立をした場合には、控訴趣意書に、その誤及びその誤が明らかに判決に影響を及ぼすべきことを示さなければならない。しかるに、弁護人の控訴趣意書には「事実誤認、法令適用の誤についての詳細は追而補遺書により明らかにする」旨記載するのみで、控訴趣意書差出最終日までに補遺書が提出されていないから、右の事実誤認および法令適用の誤の控訴趣意は適法なものとはいいがたく、したがって、これに対しては判断の限りではない。

検察官の控訴趣意について

論旨は、要するに、原判決は、その添付の訴因一覧表記載の昭和二九年京都市条例第一〇号集会、集団行進及び集団示威運動に関する条例(以下単に「市条例」という。)違反の公訴事実につき、原審において取り調べた各証拠によつてこれを認定することができるとしながら、右市条例は憲法第二一条に違反する違憲の法令であるから無効であるとし、前記公訴事実はいずれも罪とならないとしたうえ、被告人高瀬泰司にかかる右一覧表(五)の(2)(3)および(六)の(4)の各事実については、有罪を宣告した道路交通法違反教唆の罪と観念的競合の関係にあるものとして主文において特に無罪を言い渡さず、その余の市条例違反の公訴事実について主文において無罪を言い渡した。しかし、右市条例は憲法二一条に何ら違反するものではないから、原判決は右市条例の解釈、適用を誤つた違法があるというべきであり、右誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、右無罪部分およびこれと観念的競合、併合罪の関係にある原判決全部につき破棄を免れない、というのである。

よつて案ずるに、憲法二一条の規定する表現の自由といえども、国民はその自由を濫用することを得ず、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負うものであり(憲法一三条)、このことは人間が集団的な社会生活を営む以上、止むを得ない制約と解すべきである。すなわち政府その他の為政者は憲法二一条により国民の表現の自由を極力尊重すべき義務があるが、一方この表現の自由の行使により他の国民の権利あるいは利益を著しく害し、あるいは害する虞れが明白な場合には、憲法一三条による制限を受けることも当然といわねばならない。しかも、集団行動による思想等の表現は、一般の国民の生活の平穏を害し、あるいは交通の阻害を生ずるなど、他に及ぼす影響が大きい虞れがあるばかりでなく、現在する多数人の集合体に潜在する力が興奮のため激発するという作用を伴うおそれもなしとしないから、集団行動による表現の自由に関しても、地方公共団体がいわゆる「公安条例」をもつて地方的情況その他諸般の事情を十分に考慮に入れ、不測の事態に備え、法と秩序を維持するに必要かつ最小限度の措置を事前に講ずることは止むを得ないところである。本市条例は、道路その他屋外の公共の場所で集会もしくは集団行進を行なおうとするとき、または場所のいかんを問わず集団示威運動を行なおうとするときは公安委員会の許可を受けなければならないと定め、これらの集団行動を事前に規制しようとしているが(二条)、公安委員会は集団行動の実施が「公衆の生命、身体、自由又は財産に対して直接の危険を及ぼすと明らかに認められる場合の外はこれを許可しなければならない」と定められていて(六条)許可することを義務づけている。すなわち、規定の文面上では許可制を採用しているが、不許可の場合を厳格に制限していて、条件を付し、あるいは申請の条件を変更して許可することはあつても、行動自体を許可しない場合は、前記のような特殊の事情がある場合に限られ、その実質において届出制と異なるところがなく、ただ「公衆の生命、身体、自由又は財産に対して直接の危険を及ぼすと明らかに認められる場合」にのみ許可が与えられないのは、法と秩序の維持について地方公共団体が住民に対し責任を負担することから止むを得ないところであつて、このような場合を事前に予知し、不慮の事態に備え、適切な措置を講じ得るように事前に法的規制を設けることは最小限度の措置として是認しなければならない。

原判決は、集団的行動が時によつて暴力に発展することは否定できないといいながらも、集団的行動が容易に暴力に発展する可能性のある危険なもの、いわばその病理的現象のみを強調するあまり、その現代社会において果す重要な意義や機能を軽視するようなことがあつてはならないといい、弁護人らは集団行動を一瞬にして暴徒と化する危険なものとして事前の許可または届出制の制約下に置くことは、表現行為の検閲になり許されないというのである。しかし、前記説示の如く、地方公共団体は法と秩序の維持について住民に対し責任を負担するものであるから、不測の事態の発生に備え、事前に必要かつ最小限の措置をとることは止むを得ないところであつて、右の措置をとることなく、不測の事態が発生してから初めてこれに対する措置を考慮することでは右の責任を全うするゆえんではない。

また、原判決は、本市条例は集会もしくは集団行進については「道路その他公共の場所」と規定するが、およそ思想等の表現を目的とする集団行進については、そのほとんどすべてが道路その他屋外の公共の場所で行なわれるものであることに鑑みると、「道路その他屋外の公共の場所」という限定規定は実質的にあらゆる場所における集団行動を許可の対象としており、また集団示威運動については「場所のいかんを問わず」と規定し、いずれも結局場所的特定がなく、その規制対象とする集団的行動の方法は一定の思想などを表現する行動の全部であつて、特定しているとはいえず、結局、本市条例は集団行動を一般的に制限する方式をとつていて、その制限が具体性を欠き不明確であるといい、弁護人らも同様の主張をする。しかし、いやしくも集団行動を法的に規制する必要があるとするならば、集団行動が行なわれ得るような場所をある程度包括的にかかげ、またはその行なわれる場所の如何を問わないとすることは止むを得ない次第で、これをもつて特定されていないとはいえず、また市条例が規制の対象とする集団行動はその第一条により公衆の生命、身体、自由または財産に対する直接の危険を及ぼすおそれのあるものとして特定されていると解すべきであつて、対象の範囲が場所または方法について明確にされている以上、規制対象が不特定であるとはいわれず、したがって、その規制が具体性を欠き不明確であるとはいいがたい。

また原判決は、本市条例六条一項にいう許可基準は、一行政機関たる公安委員会が裁量によつて規制する基準としては抽象的、かつ、不明確であり、公安委員会の権限濫用のおそれがあるので、表現の自由を不当に制限するものであるといい、弁護人らも同趣旨の主張をする。しかし、市条例の規定は、前説示の如く集団行動を一般的に制限するのでなく、単に特定の場所または方法について制限する場合のあることを認めるにすぎないところ、公安委員会が許可または不許可の処分をするについて基準に該当する事情が存するかどうかの認定が、公安委員会の裁量に属することは、それが諸般の情況を具体的に検討、考量して判断すべき性質の事項であることからみて当然であつて、これがために公安委員会が権限を濫用するおそれがあるとして本市条例を違憲とすることは失当である。

さらに、原判決は不許可の処分が不当である場合、または許否の決定が保留されたまま集団行動実施予定日が到来した場合の救済手段が条例に定められていないから、本市条例は違憲であるといい、弁護人らも同趣旨の主張をする。しかし、原判決のいうが如き昭和二四年新潟県条例第四号第四条のように「許可申請書を受理した公安委員会が、当該行列行進集団示威運動開始日時の二四時間前までに条件を付し又は許可を与えない旨の意思表示をしない時は許可のあつたものとして行動することができる。」旨の規定が本市条例に設けられていなくとも、条例の精神からして、右新潟県条例第四号第四条の規定と同趣旨の解釈をとることもできるから、かような規定の不存在を理由に本市条例全体を違憲とすることはできない。

そうすると、本市条例は憲法二一条に違反するものでないことは明らかとなつたが、最高裁判所大法廷判決(昭和四〇年(あ)第一一八七号昭和四四年一二月二四日判決、刑集二三巻一二号一六二五頁)も本条例につき憲法二一条に違反するものでないことを明らかにしている。

そして、昭和三七年六月一五日、同年一一月一日、同年一一月一六日、昭和三八年五月三一日の各集団示威行進及び運動に関し本市条例の運用について、記録を検討しても、何ら憲法二一条に違反する廉は認められない。すなわち、(証拠略)によれば、昭和三七年一一月一日当時、四条通の木屋町、河原町間は既に阪急地下鉄工事が施行せられ、路面が掘り起こされており、また河原町通の工事状況は必ずしも明らかでないが、当日から車道の舗装仕替工事の着工が予定せられ、公安委員会はその旨の報告を受けていたことが認められるから、同委員会が当日の集団行進につき、右工事個所を避けるようコース変更の条件を付して許可したことに違法の点は認められないし、その他の集団行進の許可条件についても憲法あるいは市条例の規定の趣旨に違反するものとは認められない。

してみると、本件市条例を憲法二一条に違反する無効なものであるとして市条例違反の部分につき罪とはならないとした原判決は、法令の解釈適用を誤つた違法があり、各被告人の市条例違反の罪とその余の罪とはそれぞれ観念的競合あるいは併合罪の関係にあるから、原判決中被告人清田、同室井、同高瀬に関する部分は全部破棄を免れない。論旨は理由がある。

よつて、弁護人らの量刑不当についての控訴趣意(控訴趣意二の第五点のうち)に対する判断を省略し、刑事訴訟法三九七条一項、三八〇条により原判決中被告人三名に関する部分を全部破棄し、同法四〇〇条但書に従い、さらに次のとおり自判する。

(罪となるべき事実)

被告人清田祐一郎は、京都大学法学部に在学し、同大学の同学会代議員および昭和三七年四月から同年七月頃まで京都府学生自治会連合(以下単に府学連という。)の執行委員長代理、その後同委員長などをしていたもの、被告人室井元雄は、京都大学農学部に在学し、同学部自治会委員などをしていたもの、被告人高瀬泰司は、京都大学理学部に在学し、府学連の委員長代理などをしていたものであるが

第一、被告人清田は、昭和三七年六月一五日、府学連傘下の学生約一、六〇〇名とともに、京都市上京区河原町広小路所在立命館大学より同市東山区祇園石段下に至る間を集団行進並びに集団示威運動を行なつた際、同日午後五時四三分頃、同市中京区河原町御池交差点において、右学生中、島倉紀夫が公務執行妨害の現行犯人として逮捕され京都府五条警察署に引致されたので、前記学生らとともに同署に赴き、これに抗議し釈放を要求しようと企て、京都府公安委員会の許可を受けないで、前記学生のうち約六〇〇名とともに、同日午後六時二〇分頃から午後六時五〇分頃までの間、前記祇園石段下交差点附近から同市中京区四条木屋町、木屋町仏光寺、河原町仏光寺、河原町高辻、烏丸高辻等を経て同市下京区烏丸高辻上る大政所町合地前記五条警察署前に至る間を集団行進し、同日午後六時五〇分頃から同七時五五分頃までの間、同署表玄関前石段より附近歩道および車道上にわたり集合し、その間約四五分間右学生らがすわり込み、あるいは「学生を直ちに返せ。」等のシユプレヒコールをなすなどして集団示威運動をした際、同日午後六時二〇分頃、祇園石段下交差点附近において、前記学生らに対し「五条署に行け。」などと申し向けて指示し、かつ、途中右行進の隊列先頭列外を歩行するなどして前記学生らを誘導し、同日午後六時五八分頃、同署前において右学生らにすわり込みを指示し、その後同所において前記シユプレヒコールの音頭をとるなどし、もつて公安委員会の許可を受けない右集団行進並びに集団示威運動の指導をし、

第二、(原判示第一の冒頭記載の事実を引用する。)

(一)(原判示第一の(一)記載の公務執行妨害、傷害の事実を引用する。)

(二)  被告人清田は、昭和三七年一一月一日、府学連の主催で参加学生約二、〇〇〇名とともに大学管理法粉砕を標榜する集団行進、集団示威運動を行なうべく円山公園音楽堂を出発したが、京都府公安委員会が順路変更を条件として右集団行進、集団示威運動を許可したのにかかわらず、右学生のうち約八〇〇名が同日午後五時五分頃から四条木屋町交差点より四条通を西進し、河原町四条交差点を経て河原町通を北進し、河原町三条に至り、また学生のうち他の約一、二〇〇名が同日午後五時三〇分頃、四条木屋町交差点より木屋町通を北上し、許可順路を逸脱して午後五時四〇分頃木屋町蛸薬師を左折し、蛸薬師通を経て河原町蛸薬師に至り、河原町通を北進し、河原町三条において前記約八〇〇名の学生と合流したうえ、河原町通を北進して午後六時頃河原町御池に到着したがその間の集団行進、集団示威運動に際し、同日午後四時三〇分頃、円山公園音楽堂における集会の際、前記約二、〇〇〇名の学生に対し「警職法安保闘争以来、既成事実として勝ちとつて来た河原町コースを進もう。」などと呼びかけ、さらに同日午後五時頃、四条木屋町交差点附近において、宣伝車上より前記学生らに対し「どうしても河原町を通るのだ。あくまでも警官隊を突破する。四条通は工事はしていない。われわれの力で突破しよう。」「円山で決議したとおりやろうなどと申し向け、ついで同日午後四〇分頃、河原町三条において宣伝車の上から前記学生に対し「河原町通は許可にならなかつたが、機動隊の厚い壁を破つたことによりわれわれの権利は確保された。」などと申し向けて、右参加学生を勢いつけ、もつて公安委員会の付した条件に違反して行なわれた前記集団行進、集団示威運動を指導し

(三)  被告人室井は、昭和三七年一一月一日、前記(二)記載の如く京都府公安委員会が順路変更を条件として集団行進、集団示威運動を許可したのにかかわらず、参加学生約二、〇〇〇名のうち約八〇〇名が許可順路を逸脱して同日午後五時頃から同六時頃までの間、四条木屋町交差点より四条通を西進し四条河原町交差点ですわりこみをした後、河原町通を北進して河原町三条交差点に至り、同所において、すわり込みをした後、河原町通を北進して河原町御池に到着したのであるが、前記学生らの右集団行進、集団示威運動に際し、同日午後五時八分頃、四条河原町において、前記学生約八〇〇名に対し手信号によりすわり込みを指示し、同五時一五分頃、右学生らに対し手信号により立ち上がらせ、笛を吹きつつ右学生の行進隊先頭列外を歩行してこれを誘導し、さらに河原町三条交差点附近において、右学生らに対し手信号によりすわり込みを指示し、同五時四〇分頃右学生らが立ち上るや、笛を吹きつつその先頭列外を歩行してこれを誘導するなどし、もつて前記公安委員会の付した条件に違反して行なわれた集団行進、集団示威運動を指導し

第三、被告人高瀬は、昭和三七年一一月一六日府学連主催のもとに、学生約七〇〇名が大学管理法粉砕、憲法改悪反対を標榜して、京都市上京区所在同志社大学より河原町丸太町、河原町御池、四条河原町を経て河原町通を南下し河原町仏光寺、四条木屋町を経て円山公園に至る集団行進、集団示威運動を行ない、その途中京都府公安委員会の付した条件に違反して同日午後四時四五分頃河原町丸太町交差点路上、同四時五六分頃河原町御池交差点路上、同五時七分頃四条河原町交差点路上において、いずれも渦巻行進を行なつたのであるがその際、被告人高瀬は、主として、京都大学の学生により編成され先頭列員において竹竿を横に構えた一隊約三〇〇名の先頭列外に位置し、前記時刻頃、河原町丸太町交差点路上においては所携の笛を吹き右竹竿を掴んで引張るなどし、河原町御池交差点路上においては所携の笛を吹き右竹竿を掴んで引張り、あるいは途中隊列外に出て渦巻行進中の学生に向つて笛を吹きつつ手拍子をとるなどし、四条河原町交差点路上においては手を挙げて前記学生に進行方向を指示し、あるいは所携の笛を吹き右竹竿を引張るなどして、いずれも渦巻行進を誘導し、もつて前記公安委員会が付して条件に違反して行なわれた集団行進、集団示威運動を指導し、

第四、被告人高瀬は、昭和三八年五月二三日、府学連主催のもとに「ポポロ劇団事件最高裁判決抗議」を標榜する集団行進、集団示威運動を行なうにあたり京都府公安委員会より行進隊列は四列縦隊とすること、道路上でジグザグ行進、渦巻行進、逆行進またはことさらに遅足行進や停滞もしくはことさら隊列の幅をひろげて行進するなど一般の交通秩序を乱すような行為をしないことなどの条件を付して許可されたのにかかわらず、同日府学連傘下の京都大学、同志社大学、立命館大学の学生がそれぞれ各大学を出発し、同日午後三時過頃、京都市上京区今出川で京都大学と同志社大学の集団が合流し、さらに同日午後三時三〇分頃、同区河原町広小路附近で立命館大学の集団がこれに合流し、合計約六〇〇名の学生が参加して河原町丸太町を経て丸太町通を西進し、京都地方裁判所前烏丸丸太町、京都府庁前を経て京都府警察本部前に至る間の道路上で、前記のような主張を標榜する集団行進および集団示威運動をした際

(一)(1)、同日午後三時四〇分頃、同区河原町丸太町交差点において、前記学生行進隊の先頭列外に位置し、手信号により右行進隊を指導して約二〇列の縦隊を組ませたうえ、同隊列の先頭列外を歩行し、これを誘導して同市中京区丸太町通富小路東入る昆布屋町附近路上に至る間行進させ、

(2)、同日三時四八分頃、同区丸太町通富小路東入る昆布屋町附近路上において、前記行進集団に対し、笛を吹き、両腕を横に広げて右集団の行進を停止させ、腕を上下に振りながら「すわれ、すわれ。」と指示してすわり込むように教唆し、右集団の先頭列員から約四〇〇名の学生を、その場の車道上に約一〇分間しやがみすわり込ませ、

(3)、同日午後四時頃、同区桝屋町桑原町柳四丁目菊屋町合一番地京都地方裁判所前附近において、前記(二)の行進集団に対し両手を上下に振り、あるいは「全員すわり込んで抗議しよう。」などと呼びかけ、後方で立ち止つている学生には、重ねて「すわれ、すわれ。」と指示するなど、すわり込むように教唆し、右集団のうち約四〇〇名の学生を同裁判所前の丸太町通北側車道から市電軌道南端部にわたる道路上に約一〇数分間しやがみすわり込ませ、

(4)、同日午後四時四四分頃、同区烏丸丸太町交差点において、前記行進集団先頭列外に位置し、手信号により右行進隊を指導してジグザグ行進をさせ、

もつて、同公安委員会の付した許可条件に違反する集団行進、集団示威運動を指導するとともに、前記学生約四〇〇名をして道路上において交通の妨害となるような方法ですわりしやがむことを教唆し、

(二)、(原判示第二の(二)記載の公務執行妨害の事実を引用する。)

第五、被告人高瀬は、昭和三八年五月三一日、府学連主催のもとに「アメリカ原子力潜水艦、寄港反対、ポポロ劇団最高裁判決抗議」を標榜する集団行進、集団示威運動を行なうにあたり、京都府公安委員会より前記第四事実冒頭掲記同旨の条件を付して許可されたのにかかわらず、同日円山公園音楽堂において学生約二、〇〇〇名が参加して集会を開いたのち、同日午後五時過頃から円山公園音楽堂を出発点として、四条河原町、河原町丸太町を経て丸太町通を西進し、京都地方裁判所前、烏丸丸太町、下立売新町、京都府警察本部前に至る間の道路上で、前記目的を標榜する集団行進および集団示威運動をした際、

(一)  同日午後五時二八分頃、同市下京区四条河原町交差点において、前記学生行進隊の先頭列外に位置し、手信号により指導して前記行進集団中第一集団および第二集団約五〇〇名をしてジグザグ行進をさせ、

(二)、同日午後五時三七分頃、同市中京区河原町六角附近において、口頭指示により指導し、右行進集団約五〇〇名をして約一六列の隊列を組ませたうえ、同隊列の先頭列外を歩行し、これを誘導して同区河原町御池交差点に至る間行進させ、

(三)、同日午後五時四三分頃、前記河原町御池交差点において、同行進隊の先頭列外に位置し、先頭列員らが横にして握つていた竹竿を引張り、あるいは手信号により指示し、前記約五〇〇名をしてジグザグ行進をさせ、

(四)、同日午後六時一〇分頃、前記京都地方裁判所前附近において、右デモ隊に対し、手信号および口頭指示によりその場にすわり込むように教唆し、よつて右デモ隊のうち約二〇〇名の学生を同裁判所前の丸太町通北側車道に約一〇数分間しやがみすわり込ませ、

よつて、前記公安委員会の付した許可条件に違反する集団行進、集団示威運動を指導するとともに、前記学生約二〇〇名をして道路上において交通の妨害となるような方法ですわりしやがむことを教唆し、

たものである。

(証拠の標目)(略)

(被告人高瀬につき確定裁判の存在)

原判決の判示を引用する。

(法令の適用)

被告人清田の判示第一の無許可の集団行動を指導した所為は昭和二九年京都市条例第一〇号集会、集団行進及び集団示威運動に関する条例(以下単に市条例という。)六条、九条一項に、被告人清田の判示第二の(二)、被告人室井の判示第二の(三)、被告人高瀬の判示第三の各許可条件違反の集団行動を指導した点は市条例六条、九条二項に、被告人清田、同室井、同高瀬の判示第二の(一)の所為中、公務執行妨害の点は刑法九五条一項、六〇条に、傷害の点は同法二〇四条、六〇条、罰金等臨時措置法三条一項一号に、被告人高瀬の判示第四の(一)、第五の各所為中、許可条件違反の集団行動を指導した点はそれぞれ包括して市条例六条、九条二項に、交通妨害を教唆した点はそれぞれ包括して道路交通法一二〇条一項九号、七六条四項二号、刑法六一条一項に、被告人高瀬の判示第四の(二)の所為は刑法九五条一項、六〇条に該当するところ、判示第二の(一)の公務執行妨害と各傷害、並びに判示第四の(一)、第五の各市条例違反と道路交通法違反教唆とはそれぞれ一個の行為で数個の罪名に触れる場合であるから、刑法五四条一項前段、一〇条により、判示第二の(一)については結局犯情の最も重い酒見功行に対する傷害罪の刑に、判示第四の(一)および第五については重い市条例違反の罪の刑に従い、以上の各罪につきいずれも所定刑中懲役刑を選択し、被告人高瀬には原判示の確定裁判があって、その罪と前記各罪とは刑法四五条後段の併合罪であるから、同法五〇条により未だ裁判を経ていない前記各罪につきさらに処断することとし、被告人清田、同室井、同高瀬の以上の各罪は、いずれもそれぞれ同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条、一〇条により重い傷害罪の刑に同法四七条但書の制限内で法定の加重をした刑期範囲内において、被告人らを主文、二項掲記のとおり量刑処断し、情状により刑法二五条一項を適用してそれぞれこの裁判確定の日から被告人清田、同室井に対しては各二年間、被告人高瀬に対しては三年間、右各刑の執行を猶予し、被告人らに対する訴訟費用の負担免除につき刑事訴訟法一八一条一項但書を適用して、主文二、三項のとおり判決する。

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